PANZER FRONT / アレコレ

個人的【 ≒ オフィシャルブログ 】

ヴィレル・ボカージュ / VILLERS - BOCAGE

『PANZER FRONT / アレコレ』第6回目は、ヴィットマンヴィレル・ボカージュ

このヴィレル・ボカージュの戦いは、まったくゲーム向きではありません。視界を遮るボカージュ、狭い市街地での戦車戦、戦車ではない相手、敵の縦列を寸断するように戦闘に入る等々。これはただ、このゲームで出来るところまでを表現してみようと、組み立ててみたといったところでしょうか。

この面はいろいろ特別仕様で、ここでしか使っていない物が幾つかあります。その1つはボカージュの45度の仕様です。ヴィレル・ボカージュからカーン方向への道は、斜めに北東に伸び、そこがメインの場所となるので、それに合わせて色々用意してもらうことにしたのです。それと、この面だけに特別に加えた変更は、ヴィレル・ボカージュから地点213までの距離です。ここの距離を東西方向のみ1.5倍としてあります。それは、ここが短いと緩やかに綺麗な坂道が表現できなかったからと、地点213にいるファイアフライが、稜線の向こうに隠れなかったからでした。もしここが見通せた場合、街道に入った瞬間、ティーガーファイアフライに側面を射抜かれてしまう可能性がありました。それでそちら側には第1中隊の車輌を配置して、別の戦闘として切り離すことにしてあります。今だったら同じ第2中隊の車輌を割り振ったでしょう。とは言っても、車輌数の限界ではありました。オブジェクトも限界ギリギリで作ってもらっているために、特徴的な水道塔などは設置できませんでした。

戦闘設計図の方といえば、なぜかこの面は探しても見当たらず、載せることができません。しかし、あまり図としても面白いものでもなく、どこを通過すると、どのスイッチが入るといった指定が多かった記憶があります。

 

地点213のメモ

地点213のメモ的スケッチが1枚出てきましたが、これはPANZER FRONT制作時のものなのか、それともその後の興味から、なんとなく描き止めたものなのかは思い出せません。ゲームとは関係なく、こんなメモをしている時はありました。いったい何を確かめたかったのか。右にある建物は、現在でもストリートビューで確認ができますが、道はヴィレル・ボカージュに繋がっておらず、新しい道の脇に消える形となっています。

ヴィレル・ボカージュの戦いは小学生の時、他のクラスのT君から聞いたのが最初だと記憶しています。今でもいろいろと取り上げられるのは、当時のプロパガンダのことも多少はあるでしょう。1970年代の小学生の所まで、いや、2000年代に入ってまでも引っ張れる話であったのは興味深いことです。特に小学生は、そういう話が好きということはではありますが、当時はまだ具体的な内容はわからず、敵戦車を次々と撃破したすごい戦車長がいた、程度のことでした。

それでこの戦いの話は、いったいいつの時期に、日本に入って来たのだろうと思うこともありました。パウル・カレルの『彼らは来た』での描写は有名ですが、それが最初ではないでしょう。ある時、本屋に入ると『激動の昭和史を読む・太平洋戦争の記憶』という雑誌?が目にとまり、張作霖爆殺事件の号でしたので買ってみることに。当時の新聞の復刻という形をとっていて、パラパラめくると、昭和19年6月17日の朝日新聞のページがありました。『サイパンに敵上陸企つ』が1面にあり、次の項に『両軍決定戦へ準備、四地区で大消耗戦高潮』と、ノルマンディ戦を伝える記事があました。そこに『ヴィエル・ボカージュで獨猛反撃』という見出しが! 4日後には、特電で日本に入っていたのでした。そして、その右下には、『無人飛行機・獨英本土爆撃に続々繰り出す』の記事も。

 

最後に。制作も終了してから購入した、THROUGH THE LENSのヴィレル・ボカージュの写真集。発売は1999年の9月くらいか、その頃にはヴィレル・ボカージュの組み立ては終わっていたでしょう。90年代の後半は、このような本が海外ではどんどん出版されていたような気もします。