PANZER FRONT / アレコレ

個人的【 ≒ オフィシャルブログ 】

歩兵戦車マーク2

『PANZER FRONT / アレコレ』第26回目は、当たり判定についての雑記。

『B型』発売直後のオフィシャルページで、最初に書いたのはマチルダの当たり判定についてでした。『A型』の当たり判定は箱形状でしたが、『B型』ではそれぞれの戦車の形に合わせることが可能になりました。マチルダの形は複雑で、当たり判定もそれに合わせた形状になっています。そして『B型』には、砲身にも当たり判定が付くことになりました。『A型』は、砲身部分には砲弾は素通りで当たり判定は無く、故障などは砲塔前面に指定した防盾の一部分に設定されていたと記憶しています。下の図は、マチルダの当たり判定の形状です。テクスチャーを貼る本体とは別に、このように用意されています。数字はデータとリンクするための整理番号で、装甲の厚みではありません。

この内部には人の当たり判定もあり、直接当たるとその乗員は死亡します。乗員も装甲と同じ扱いで置いてあるために、変な話ですが、人に厚さ1〜2ミリ程度の装甲数値を入れました。弾薬などの場所も指定したような気もしますが、そちらの詳細は忘れてしまいました。『A型』では貫通イコール撃破でしたが、『B型』では、AP弾が装甲を貫通しても撃破に至らない場合が多くあり、AP/HEでも、貫通後に爆発しても効果が弱いこともありました。【侵徹が、このゲームの中にはありません】その撃破判定の加減は難しく、多くの実験と長い調整期間が必要です。『A型』では、大戦後期の戦車が多く、砲はある程度以上の威力があったため、貫通イコール撃破でも違和感はなかったとは思いますが、『B型』では大戦初期の戦車が多くなり、砲と装甲の表現をより細かく考えねばなりませんでした。そこが上手く表現できたのなら、それを大戦後期の戦車にも反映させるというのが理想でした。

下の画像の左上は、覚えている方もいるとは思いますが、『B型』発売直後のオフィシャルで、マチルダの当たり判定の説明をした図です。この時使ったマチルダの模型は、何年後かに第4王立戦車連隊の塗装をしてみました。何も手を入れず組み立てただけですが、今見るとマーキングなど何もしていませんので、何かデカールでもと思いましたが、今では新金型のマチルダも発売されているという。新旧のキットでは、どのくらい違うのでしょうか。

★ 以前の投稿にも『A型』と書いていますが、『B型』より前の仕様をもった製品を指しています。それは『PANZER FRONT』『PANZER FRONT bis』のことで、そのドリームキャスト版、エビコレ版もそれにあたります。

 

アンケートハガキとランキング

ゲーム本体ではない話を2つ。

◎アンケートハガキ

最初の『PANZER FRONT』にはアンケートハガキが入っていましたが、それにはご意見、ご希望を書く欄があり、それらとどいたハガキをまとめて見せてもらうことがありました。

いただいた中には現役の戦車小隊長ですとのハガキもあり、「戦車の特徴をとらえた良いゲームだと思います」と書かれていたのは嬉しいことでした。本職の方からのハガキは、他にもあったような記憶もあります。また、70歳以上の方からのものもあり、続編をお願いしますと書かれていたり、ハガキの欄では物足りず便箋数枚の封筒で送ってくださる方もいらっしゃいましたが、それら熱い内容は当時、すべて読ませていただきました。ありがとうございます。

◎ランキング

2001年2月8日は『PANZER FRONT bis』の発売日です。下の表はその日のゲームランキングのようで、E社の誰かが画面をプリントし、記念にと置いていってくれたものです。発売当日には、最大瞬間風速という感じに1位となっていたようです。『鬼武者』なども懐かしいタイトルです。この中の2つはワンダースワンのソフトですが、今は知っている人も少ない製品なのではと。

このランキング内ではPS1のタイトルは2つ、ドリームキャストはありません。『bis』は、PS1では最後の方のタイトルでした。もう少し開発が早い段階か、またはPS1がもっと長い期間の機種だったら、コンストラクションデータの配布が多くできたのではと、その部分がもったいなかったです。何かの雑誌で一度だけ付録にできたのも、それはPS1では最終便であったという事でした。ユーザーさんからのデータもカードで郵送してもらい、その時にまとめて入れてもらったような。これがPS1での最後ですから、とにかく間に合わせてくださいと言われた記憶があります。その時の収録用に作ったものが『1944 / 街道十字路』でした。この時、あと1つ用意していましたが、間に合いませんでした。そちらはロシア軍の面として組み立てていました。『bis』発売直後の2001年の春頃の段階で、すでにPS1は終わった機種ということだったのでしょうか。PS2は、前年の3月4日発売でした。

* * *

この場所ですが、更新しても15回くらいと思っていましたが25回となりました。当時のスケッチや書類など、思った以上にいろいろあるものです。『小休止』の時にも書きましたが、いつまで続くかわかりませんが、気が向いた人はお付き合いください。

『B型』のPzGr. 40について

『PANZER FRONT /  アレコレ』第25回目は、PzGr. 40の特殊な仕様について。

これは今までどこかに書いたのか覚えていませんが、昔のオフィシャルに書く予定が、そのままになっていました。『B型』でのNPCの三号戦車は、敵戦車が200m以内に入ると優先的にPzGr. 40を撃つように作ってもらっています。僚車をマチルダの200m以内に移動させると発射します。その場合、なるべく側面に走らせましょう。これは三号戦車だけでなく、四号F2型やタイガーなどのドイツの戦車、および装甲車は、同じように作動すると思います。でもそれは実際にはおかしなことで、タイガー戦車の場合、ゲーム内では、どのようなタイミングでPzGr. 40を発射したらよいのか。この部分は、この弾のみ、戦車別に仕様を考えねばなりません。【使用する砲弾は目標物の種類で変化し、優先順位が用意されています】そもそもPzGr. 40は、そんなに装備されない弾ではありますが、これは三号戦車だけの、対マチルダ戦用の特別仕様として用意されていました。

A型の時は砲弾の選択はプレイヤーしか出来ず、NPCの場合、徹甲弾はセットされた一番上に表示された砲弾しか発射できないような仕様でした。どんな戦車も、プレイヤー以外は高速徹甲弾を撃てず、通常の徹甲榴弾を撃っていたわけです。例外として、ファイアフライだけは徹甲弾の優先順位が入れ替えてあり、APDSを撃つようにしてあります。ということでファイアフライはプレイヤーでない限り、APCBC-HEを撃つことがありません。

もし『B型』にファイアフライがあった場合、あるクラス以上の戦車に対して、初めてAPDSを撃つような仕様を用意することになるのでしょう。五号戦車や四号戦車にはAPCBC-HEを撃つということになります。

『B型』では弾種別に弾数は決められていたので、NPC戦車は徹甲弾が尽きれば、戦車に対しても榴弾を撃ち始める仕様で、逆に榴弾が尽きれば、歩兵にも徹甲弾を撃つようになっていたと思います。A型ではNPC側の砲弾は総数しかなく、全弾が、徹甲弾にも榴弾にもなるような仕様ではなかったか。

画像は適当なものが見当たらず、なしです。

準備スケッチ

『PANZER FRONT / アレコレ』第24回目は、『B型』への準備スケッチの1枚。

『bis』のデータをSCEに提出したのは、2000年の12月中旬のことだったでしょうか。全ての作業が完了し、「終わった!」となったのは年末のことでした。自分にとっては『ベルデセルバ戦記』、『PANZER FRONT』からの『bis』で、3度目の制作完了でした。それでも『ベルデセルバ戦記』の場合、現場に立ち会っていませんので、実際にマスターアップを見たのは2度目が正しいのかもしれません。企画開始の1996年からは、ちょうど5年が経過していました。あの終わりが確定した時のサッパリ感と、間違いが本当にないかとの不安が混ざったものは不思議な気持ちです。それでも年始から、どこかに間違いがないかのチェックは続けてはいました。今はパッケージ販売ではない物がありますし、当時のようなそういう感覚は多くはないでしょう。しかしそれで、終わりのない細かな修正の連続で、ものすごく大変ということらしいですが。

下の画像は、『B型』の仕様を描いた物です。プレイヤーの視点と、その操作についてまとめています。日付が2001年1月13日となっていますので、bisが発売される前に、このようなものを用意し始めていたようです。

一番上は、キューポラのハッチから見た戦車長視点です。航空攻撃も考慮して、上への視界も用意しています。その下はキューポラのバイザー視点。三号戦車は5方向にありますので、十字キーでその視界が移動します。3つ目は照準器で、これは砲塔の旋回に合わせて動きます。A型と確実に違うのは、照準画面に瞬時に切り替わることでしょうか。A型では、砲塔が狙った方に向いてやっと照準画面に入りましたが、それがなかなかもどかしい感じではありました。それは、方向を混乱しないようにとの配慮だったと思います。B型では、スコープの倍率が低いため、周囲がある程度わかるのではと瞬時切りかえを採用してあります。それでB型では初期設定(確か4倍)ではない、タイプ『B』がお勧めということでしょうか。

ポトー / Poteau

『PANZER FRONT / アレコレ』第23回目は、ポトー。

ポトーで使用した25000分の1の『ヴィールサルム - レヒト』の地形図。フランス、ベルギー、ドイツの地形図はとても見やすく、スケールもいくつか出ていて便利でした。かわってロシアは10万分の1しか入手できず、そのスケールでは細部が曖昧になってしまいます。

 

地味な面なので、印象に残っている人は少ないかもしれません。制作初期には、この戦場で車輌のデバックなどをしていたこともあったので、自分では長く見ていた面ではありました。ここは曲がり角を利用した戦闘の組み立てが難しく、いろいろと時間がかかった記憶があります。そのため、ポトー北の森のエッジ部分は何度も形状を変え、敵側である三号突撃砲が上手く戦闘できるように修正を繰り返しました。

このあたりはアルデンヌの戦いでよく見る映像の撮影された場所だそうで、実際に四号駆逐戦車が走っている映像がありますが、それではゲーム的には難しいだろうと三号突撃砲としました。組み立てを開始した頃にはまだ米軍のストーリーモードが予定にあり、それを入れ込む形で進めています。

もし、『バルジの戦い・上巻』(ジャン・ポール・パリュ著 / 岡部いさく訳 / 大日本絵画)をお持ちならば、209ページから数ページにわたり、実際にはどうであったかが書かれています。226ページの上の写真を見ると、道の東側はかなり開けていて、購入した地図でも同様に牧草地になっていますが、Googleマップで見ると植林されているのかだいぶ狭くなっています。

この226ページの写真には擱座したパンターが3輌見え、今、再び組み立てるならドイツ軍は、四号駆逐戦車とパンターでしょうか。北側からポトーに向かう右へのカーブは、ゲーム内と違って先への見通しができないような形状です。パンター1輌は道の右側、傾斜した牧草地の中に、あとの2輌は道の左側、カーブの先を見通せる位置へと移動した所で撃破されたのか、そんなふうに見えます。どこにでもあるようなゆるやかなカーブですが、両軍重なり合うような状況がここにはあり、この小さな区画だけでも充分にゲームとして落とし込むことができそうです。

下の図、左へはヴィールサルム、上にはレヒト、そして右下にはサン・ヴィトへと、それぞれに接続する道路があります。主人公の戦車隊は、一度ここを通過してサン・ヴィトに入り、後退時には南側のロートを通りヴィールサルムへと向かうように考えていたのだったか、当時どう構成したのかは今となっては忘れてしまいました。

ルーデンドルフ鉄橋 / Ludendorf Bridge

『PANZER FRONT /  アレコレ』第22回目は、ルーデンドルフ鉄橋。

アメリカ編の最終イベントスイッチに用意したルーデンドルフ鉄橋ですが、作ってもらったその姿は良く、タクティクス用にと戦闘を入れました。鉄橋はプレイステーションではほんの一部しか見えませんが、ドリームキャストでは表示範囲が広いため良い感じに見えます。

上はそのイベントのスケッチです。アイデア出しのメモなので、こんな感じにしましょうかとシナリオ用に用意したものだったのか、ラインの川幅も800メートルと適当なことを書いていますし、よく見ると方角も90度間違えています。ルーデンドルフ橋は、ほぼ南北方向に架っていました。それと橋を落とす場合、効果があるのは真ん中なのか橋脚なのか。これには橋脚と書いてはいますが。

この面には対岸にヤークトティーガーが出てきます。これは第512重駆逐戦車大隊ということにはなりますが、レマーゲンには到達していません。これはスーパーファミコンのゲーム、『サージェントサンダース コンバット』のレマーゲンのマップに登場して「おお!」となったので、同じように使わせてもらったことをここに記しておきます。このゲーム、すごく楽しめます。そのヤークトティーガーは、ドイツ兵から奪ったパンツァーファーストをサンダースに持たせ、なんとか撃破しました。もちろんリセットは繰り返しましたが。

下の2枚は昔のオフィシャルでも紹介しました。やはりゲームに落とし込むための参考にと用意したもので、右スケッチのトンネル側の配置はゲーム的な演出が必要だったので、セル単位で形状を決めています。

レマーゲンでの物語のイベントは、主人公たちの戦車がルーデンドルフ橋を渡っていた時に、アラドAr234から誘導爆弾が発射され、あわやというものでした。

物語には河森正治さんにデザインしてもらった米軍戦闘機が出てきて、このイベントに絡む予定でした。その戦闘機はデザインしてもらいましたが登場機会もなく、bis発売からしばらくして、新宿駅の改札で偶然にも河森監督に会った時に、登場させられずにすみませんでしたと、そこで伝えました。物語は戦闘機が絡むものになり、主人公の戦車長と、その戦闘機乗りが兄弟という設定が加えられていました。ル・デゼールに戦闘機が飛んでいるのは、その為もありました。もちろん、その架空戦闘機は変形しません。

そしてこの面はT26E3を入れても良いのですが、最初の製品では制作車輌のリストにはなく、あらためて『bis』で用意することに。しかし、M4からT26E3に入れ換えてしまうと、戦闘のバランスが変わってしまうためにしていません。

下の図を見るとコンパクトな戦闘です。タクティクスとして考慮していなかったこともあり、ゲームとして落としやすい形に配置していますが、いつの時期にどう作っていたのかの記憶もあまりなく、制作時の印象の薄い面ではあります。

今思えば『サージェントサンダース コンバット』もASCIIからの発売でした。ゲーム部門はほぼE社へと移行したので、『PANZER FRONT』はおそらく、ASCIIブランドでは最後のミリタリー系のゲームだったのではと。とにもかくにも90年代後半という時代、ASCIIなので『PANZER FRONT』という企画が通ったのかと。

トブルクの防衛線

『PANZER FRONT / アレコレ』第21回目は、トブルクのあの陣地のことなど。

これはトブルク防衛線の図で、ゲームに落とし込んだ場合、このくらいになるのではと用意してみたものです。今はGoogleマップもあってこの場所を見ることができますが、作っていた時は、こんな感じではないかとの推測でしかありませんでした。それで今見比べてみると位置がいろいろと違い、内側に配置された陣地には周囲の溝も確認できないので、偶数番号陣地には無かったのか。形状も場所によっては楕円だったり四角であったりと同じではありません。この図には描かれていませんが、地雷原は幾つかの図を参考に、ここかと思う場所に敷設しています。

周囲を見ると、離れた所には見始めた頃には無かった耕作地や住宅?のような物があり、やがてはそれらに埋もれてしまうのかもしれません。それはエル・アラメインも同じで、ギュンター・ハルムの戦いでのルワイサットの丘も、アレクサンドリアからの開発が迫っているように見えます。

図上に戻ります。等間隔の十字に数字が入ったものは英軍の座標です。これはかなり離れた地域で確認できたので、経度緯度から位置をずらして数字を当てはめてみました。当時、どのような作業をしたのかは忘れていますので、これが正しいのかどうかは不明です。

大きな三角形の陣地は、以前は確認できたような記憶がありますが、現在見るとよくわかりません。この陣地はメダウェルからは下り傾斜の終わるあたりで、南からは幾つかの道の集中するような場所です。周辺一帯は地雷原や対戦車壕、それに鉄条網などで迷路のようになっていたのでしょう。

面として用意されたのはメダウェルですが、上部左端の▲209と記されたあたりから、三角形の陣地までが範囲だったでしょうか。▲209の近くには砦の廃墟を置きましたが、これは実在したのかわからず、そういう曖昧な物はゲーム的に見栄えの良い方にとしてあります。