PANZER FRONT / アレコレ

個人的【 ≒ オフィシャルブログ 】

いくつかのゲーム

第58回目は、制作前に、または制作途中に知ったゲームのいろいろ。

第7回目の時に、制作にあたって目標にしたゲームについては書きましたが、それらは全てフライトシムでした。今思い返すと、他にも部分的には影響したと思うゲームがあります。それは第7回目の時に書いた物と同時期か、それより前だったのか、時期としては、『PANZER FRONT』の制作が始まるずっと前、『M-1 Abrams Battle Tank』というゲームがありました。これは日本では発売されなかったのか、北米でのメガドライブであるジェネシスでのソフトです。このジェネシスのゲームカセットは、メガドライブとの互換性はないと建前上はなっていたのでしょうか、でもカセットの一部をヤスリで削り落とし、強引に差し込むとメガドライブで使用が可能でした。この戦車ゲームですが、良くできていたのです。画面は平面的な擬似3Dなのですが、M60 やT72は見分けができたような、いやできなかったかな? 戦場としては6面? 8面くらいはあったでしょうか。しかしこれが車体のコントロールは複雑で、慣れるのに少し時間がかかります。内容としては、橋を守ったり、味方のM60やM113の救出などのミッションがあったと思います。マップのデフォルメはどのくらいだったのか、狭くは感じませんでした。射撃目標はプレイヤーが決め指定しますが、発砲は自動です。このゲームで、「外しやがった、俺に撃たせろ!」と、心の中で叫びながらやっていたと思います。

そして次は、ある部分、理想的だなと思ったゲームです。制作も始まってしばらくして、やはりアスキーの誰だったかが、こんなゲームがありましたと手渡されたのが『Close Combat』でした。(さすがにアスキー、ゲームの情報は次々と入って来ます)これは、歩兵を中心としての最前線を扱った作品です。各隊の能力も特徴が出ていて、配置、投入の仕方を間違えると戦闘力を発揮しません。正直な感想は、これを3Dにして戦車で乗り込めたら、これ以上のものはないのではないかと。とにかく各兵種の役割が目に見えるようでとても良い感じでした。戦争を扱ったゲームはいろいろあれど、これほど地上の戦闘を感じられるゲームもないのではと、当時(1997年の時点)は思いました。

シリーズ1作目の『ノルマンディ』、次は『遠すぎた橋』か、さらに『独ソ戦』、『バルジの戦い』と、続けてやってみました。この中での『独ソ戦』のクルスクですが、両軍の戦車が仕様いっぱいになのか、かなりの数で戦う面がありました。しかしそれは少し無理があるような感じでした。基本は歩兵の戦闘なので仕方ないのかもしれません、戦車だけを見るならば物足りなさはありました。

このシリーズですが、その後も出ていたのは知りませんでした。最近の物の出来はどうなのか。(どうも最初の5作の後、数年の間をあけて出た物は、初期のものとは別なのかもしれません。シリーズ中にはFPSも1つあり、なかなか迷走していて残念。ゲームのタイトルだけが残り、会社が変わるとそうなってしまうのか。)

そういえば、X boxで『PANZER FRONT』を考えてみませんかとの話があった時に、X boxと『Call of Duty』を参考にと手渡されたことがありました。これは『Close Combat』とは、まったく別の方向性を持ったゲームです。それが何作目だったのかはわかりませんが、何面かで気持ちも入らなかったこともあり、進めることができなくなりました。分類的にシューティングであるからか(FPSも嫌いじゃないですが)、目標にするユーザーがまったく違うので仕方ないのかもしれません。たしか、戦車に乗れる面もあったような記憶もあります。敵戦車に3発当てると撃破できるとか、そんな仕様ではなかったか、それは違うゲームだったのか? もう、その時点でやる気を失います。

『PANZER FRONT』では、歩兵の表現をあきらめようとしていた時期もありました。しかし歩兵がいなければ、どうしても戦場には感じられません。それに戦闘のゲーム的バリエーションも、歩兵で厚みが増します。制作初期には、ものすごくシンプルに、ピンのような形状でも歩兵が投入できないかと、そんな話し合いもしていました。分隊でピン1つというような省略でも、その存在がどうしても欲しかったのです。

写真は『Close Combat』の『遠すぎた橋』、『独ソ戦』、『バルジの戦い』です。西部戦線の2つは日本版で、東部戦線は海外版のままのようです。この中では、『遠すぎた橋』が一番遊んだでしょうか。見れば、マイクロソフトが出していたのだなと。



 

人の当たり判定

『PANZER FRONT / アレコレ』 第57回

上の図は、『B型』の戦車兵、そのダメージ判定のポリゴンを示したものです。乗員1名は2枚の三角形で作られていますが、当時のPS2では、このくらいが限界のようでした。しかし乗員にはまだ形状がありますが、歩兵はそうではなく、点でしかありませんでした。点として胸と腹の中間位置にあり、そこから直径約40センチほどの球体が当たり判定の範囲となります。(もう少し大きかったのかもしれませんが)その時は、そのくらいシンプルにしないと、あれだけの歩兵を出すことはできなかったようです。PS1からかなり性能が上がったとはいえ、そのあたりがPS2の限界だったとのこと。最初に球体でしかできませんと聞いた時は、うまくできるのか心配でしたが、それなりに表現はできていたように思います。

図に戻りますが、M4の方、どうも砲塔の砲手と装填手の位置が変ですが、この後に位置は修正されたはずです。この三角形の面には1〜2ミリ程度の装甲厚が入っていて、砲弾が貫徹するとその乗員は即死となりました。また、三角形の頂点部には、徹甲榴弾、または榴弾の爆発衝撃を感知する点を置いている仕様でした。この出来るだけ単純化した当たり判定は、プログラマーのアイデアだったと記憶しています。仕様上、そうやって作られたその後は、考えに合う被害の出かたを時間をかけて調整していくわけです。理想は、車体内の全てをおおよそ作れば良いのですが、それが出来る時代でもありませんでした。

M4中戦車(左)とM3軽戦車(右)の表示されたものは、車体の当たり判定の形状です。起動輪、誘導輪、履帯には当たり判定がありますが、転輪は全部でひとまとめでした。『B型』には二重装甲の表現はできましたが、転輪などもその効果があります。そして徹甲榴弾(AP/HE)は貫徹した場合、車体内部で爆発する仕様ではありました。高速徹甲弾(APCR / 硬芯徹甲弾)は、ただ貫徹するだけで、さらに内部の当たり判定に効果が出ないと撃破には至りません。戦車兵は、その当たり判定を砲弾が抜けると即死し、徹甲榴弾、榴弾の爆発衝撃を頂点部で感知すると負傷、または戦死しました。たしかそのように作動していたと思いますが、このあたり、どう簡略するのかには、だいぶ苦労していたと思います。

最近のゲームの紹介で見る、徹甲弾の装甲貫徹後の表現をしているのは、『 War Thunder 』なのでしょうか。今ならそのくらいは作ることになるだろうと見てはいますが、どのようなゲームなのかは遊んだことはありません。陸海空、それぞれできる作品のようですが、同じ仕様でどこまで表現できているのでしょう。他の兵器は、どういう作りなのだろうかと。Eric Parkerの作った、『Hellcats Over the Pacific』と『A-10 ATTACK!』には、パイロットに当たり判定があり、命中すると『ウッ』という嫌な呻き声と共に操縦不能になりました。空戦物には、どのくらいのゲームが、人に当たり判定がついているのか気になりますが、最近の物は全部入れてあるのだろうかと。ましてや海戦ものになると、人に当たり判定は必要なのか? 数百人単位で乗っていて、いざ「総員退艦」になった場合の表現は、ちょっと想像してしまいます。戦艦でも一つの機械ではなく、たくさんの生命が乗っているという表現は欲しいような気もしますが、無理か。

串良 / Kushira

『PANZER FRONT / アレコレ』第56回 『 串良 』

日本の戦場を入れようと思ったのは、『bis』が出せることが決定された時、新規追加マップとしてでした。他の追加面は、どれも最初の製品に間に合わなかったものです。

『bis』は、当初はドリームキャスト用にも作られる予定でしたので、『串良』のテクスチャーは少し解像度を上げて作られていましたが、制作がプレイステーションのみへと変更されたため、解像度をPSに戻し、用意されることになります。多少画質の上がった串良は見てみたかったのですが、画面としては作られることはありませんでした。

『串良』は、もう1セット米軍が攻めてくることも考えましたが、あれ以上では誰もクリアできない面になったでしょう。自分でも100回ほど繰り返し、クリアは4~5回程度なので、ペトロフカよりも厳しい面です。とりあえずクリアが確認できたので、大丈夫かと製品に入れました。ペトロフカの場合、慣れてしまうとかなり高い確率でクリアできますが、串良は難しいでしょう。1度、序盤で溝口車がやられてしまい、残りの3輌でクリアした状況がありました。この場合、2コン側での車輛視点の切り替えを使わないと無理です。2コンの十字キー左右だったかでカメラが切り替わると思いました。特に宇野澤車のコントロールには必要でしょう。溝口隊長が斃れた時、宇野澤だけが頼りです。

戦闘の組み立て図はシンプルです。米軍の前進ルートが同じ道を使うことが多く、曲がり角や橋から落ちないように注意しながら指定してあります。それでも落ちてしまう場合もあり、その時は、すみませんがリセットをお願いします。落ちた場所まで出て撃破するとゲームは進行するとは思いますが、放っておけば自動で消えのたか、そのあたりの仕様はどうなっていたのか。そして九州の地名には特徴があり、どう読むのかがわからなかったので、串良の観光課に電話をして直接聞きました。十三塚は、『ツカ』なのか『ヅカ』なのかは、その時に聞いた方で入れてあります。写真は、2001年9月8日の十三塚の表示版。

ここで特徴的なのは、練習機の白菊でしょう。90年代の前半のことか、ある会社に行ってみると、航空機の模型を何個か作っていました。話を聞くと白菊で、それらはその機体に縁のある戦友会からの発注だったらしく、十数機を作り、会員に配るためとのことでした。練習機に縁とは? と当時は思いましたが、後で考えると特別攻撃隊だったのかもしれません。その模型は、黒い飾り台にアクリルのケースに入れて完成するようでした。納品状態は見ていませんので、銘板には何と書く予定だったのか、今となってはわかりません。

追加する面を串良にした時、白菊を使った特別攻撃隊がここから出撃したとあり、そこで思い出したのは、その戦友会の模型のことでした。串良の面のポリゴンにはまだ余裕があるとのことでしたので、白菊を置いてもらうことにしました。

耕作地は畑としましたが、昭和25年の地形図をみると桑畑もあり、畑だけではないのがわかります。土地の境目には木を置き周囲に草を植え、この地域特有の田の神様『たのかんさぁ』を置きました。11月なので草もあまり枯れてなく、緑も残っています。ただし、九州地方の季節の感じは分かりませんので、想像です。

架空戦車

『PANZER FRONT / アレコレ』第55回目は、企画時の架空戦車の話。

『戦車ゲーム』の企画を進めるにあたって、いくつかの要素が話し合いで追加されていくことになりますが、その一つが架空戦車でした。予定していたのは、米、英、ソ、独、伊、日の、6つの国の戦車です。理想は各国2輌ずつ用意するという物でしたが、作品の規模から、最終的に3カ国に絞られ、6輌となります。それがもし6カ国であった場合12輌なので、どうなったのだろうかと(自分では、伊と日は、できても1輌と考えてはいましたが、それなら10輌になります)。それぞれの国の全部にはストーリーは付けられませんと、そう宣言はしていましたが、その辺りハッキリとは決められず、だいぶ曖昧に企画は進んでいきます。自分では、史実をベースにした面(製品でのタクティクス)がどうしても作りたかったので、そこをどうにか残すことだけを考えて進めていました。それにしても日本軍の架空戦車と戦場はどうしたらよかったのか、具体的に進み始める前に日本軍はリストから消えたので、案は確定しないまま終わっています。

上のぼんやりとした絵は、企画書用にイタリア軍の架空戦車を用意してみようと、必要な要素だけを最初に描き留めたメモです。日付は1996年8月31日になっていますので、『戦車ゲーム』の企画しようとなってから3〜4ヶ月後のこと。それまで、企画書とも言えないA4のペラ1枚の、ゲームの内容を書いたものであったので、そこらへんから本格的に考え始め、あたらめて用意しようとなったのでしょう。立場上どこにも所属していない有志による企画なので、その進行はハッキリとせず、1996年度中は進んでいたのかそうでなかったのか。実際に制作が始まれば、米、英、ソ、独は、有名デザイナーさんにお願いすることは決まっていたので、ちょっとお願いしにくいイタリア軍は、自分で担当しようと考えていたのでしょう。最初はアフリカ戦線も入れる予定でしたので、マチルダやグラントと砂漠で戦うことを考えた性能としました。この時点でも、企画の立ち消えの可能性はありました。

これはその企画書作成前に用意したラフの1つで、昔のオフィシャルページに貼った物とは多少形状の違う前段階のものです(こっちの方が良かったか)。砲塔の形状が少しハンガリー戦車が入っているのは、大きな砲を搭載させるために考えた形状で、全体的にM13/40のパーツを利用しての車体です。砲塔前面の形状があいまいなのは、どうしようか迷っていたのでしょう。この頃は、企画初期に考えられていたキャラクターを意識して、少しデフォルメした形状となっています。同じ頃には、欲しい戦場の選び出しなども行っていたと思いますが、まだ何も決まっていないので、この1年近くはまったくお金になっていませんでした。

このスケッチですが、ゲームで使うとなると、もう一度はじめから考え直したでしょう。しかし、企画が進むとイタリア軍自体もゲームからなくなり、イタリア軍戦車はポリゴンで作られることはありませんでした。佐藤道明さんと山根公利さんにも企画初期に、先行してデザインをお願いしていましたが、そちらもスケッチだけとなり、たいへん申し訳なかったです。

下の画像は、企画書作成の頃から15年以上経って、遊びで再び描いたものです。時期は『2202』の終わった頃でしょうか、そのあたりなので、そこからまた10年近くはほったらかしの状態で忘れていたものです。基本的には企画書の時に考えたイタリア軍戦車と同じで、転輪を2つ追加し車体を延長、車幅も少し増やす形で、主砲は105ミリを搭載するというものでした。これでは履帯は別物になり幅広で、装甲は最大でも70ミリくらいか。これはこれで面白いので、いつか続きで手を加えるかも知れませんが、あたらめていちばん上のスケッチを見ると、より重戦車っぽいので、そちらに戻すのもおもしろいかなと。これはM13や、M14の形状を引き継いでいます。

勇気と豪胆の模範を示せ

『PANZER FRONT / アレコレ』第54回目は、大衆と、勇気と、豪胆と。

企画を動かそうとしていた初期の話、ロシア軍側からも作るということになって、何かきっかけでも掴めないかと古本屋で目に止まったのは、『第二次世界大戦史 / ソ連共産党中央委員会附属マルクス・レーニン主義研究所編』の全10巻でした。編纂されたのはたしか1960年代なので、内容はあえてどうなのかは書きませんが、それにのってみるというのも面白いのではないかと、その時はそう考えたのです。とにかく、誰それの英雄的何々により◯◯達成とかいろいろと出てきて、それぞれの功績を讃えるものでもあるのでしょう。そしてこの本には、ティーガーは「虎」戦車、パンターは「豹」戦車と訳されて出てきますので、それはそのまま採用させてもらいました。”大衆”とか、”豪胆”もやはりそうで、なかなか力の入った独特な言い回しが並びます。

あまり目にすることもない訳文の利用に、出典は何なのだろうと、昔ある掲示板に書いている人がいたのを思い出しましたので、回答として、この本でしたと書いておきます。

ならず者、ヒトラー・ギャングとかに訳されていて、他ではなかなか見ることはありません。どこかの国の訳でも聞くので、ロシアの革命時からの伝統的な言い回しの、ストレートな訳なのかなとも思ったり。この辺りについては詳しい人もいるでしょう。パウル・カレルだったかクルト・マイヤーの本だったか忘れましたが、戦場でロシア兵のことについて、”ロシアの戦友たち”と書かれているのも(皮肉的にでしょう)おもしろいことです。

訳で思い出したのですが、赤と青の『ティーガー』の本には、『ロ■ケは燃えたぞ!』という強烈に印象に残るセリフがありましたが、元の本ではどんなだろうと探したこともありました。戦場の状況や前後の戦闘の雰囲気から、『ロス■は燃えたぞ!』はインパクトがあり、強く記憶に残ります。その赤と青の本のケーニヒスベルクをめぐる戦いの中での、『メトゲテンの仇を討て!』も忘れられないもので、たまに思い出すのでした。こういう言葉の先の、報復の連鎖増幅が戦争なのでしょう。メトゲテンは地図で探すとまったく見当たらず、ケーニヒスベルク包囲戦の図に記したものがあり、そこでおおよその位置がわかります。ドイツであった頃の地名は、場所としても消えてしまうのでしょう。

しかし、この『第二次世界大戦史全10巻』は、古本屋から持って帰るのは重くて大変でした。

これは第5巻の『スターリングラード攻防戦』ですが、クルスク戦もこの巻です。この中での、スクリプキンの戦いの部分、”大隊長ぺ・ア・スクリプキン大尉は、「すすめ! おれにつづけ!」と命令を発し”とあるので、先頭を行ったのか。”第一弾で「虎」の一つの側面を貫通し、ついでに展開して、三発目で敵のもう一つの重戦車を炎上させた”、と。これもチャーチル戦車による戦果なのでしょうか? この日のティーガーの被害は確か全損1輌か無しかのどちらかだったか、いろいろひっくり返さないと今はわかりませんが。そのあとの、操縦手アレクサーンドル・ニコラーエフの、炎上する戦車に一人乗り込み操縦し、敵めがけて突進、まるで炎の竜巻が、野を疾走しているかのように見えた、と。その後の、”爆発が大地をゆるがし、ソビエト戦車兵のなぐりこみはヒトラー兵のどぎもを抜いた”、そんな感じの内容なのではあります。

クルスクの面では、チャーチル戦車やM3中戦車も出したかった。M3中戦車は、多砲塔仕様になるために入れられず、チャーチル戦車はマークIVでしたので、あらためての用意はできませんでした。しかし、面に登録する車種の限界もありますから、どちらにせよ『А型』では難しかったでしょう。

音楽について その2

『PANZER FRONT /  アレコレ』第53回目は、音楽についての『その2』として、『ベルデセルバ戦記』のことなども。

だいぶ前ですが、『PANZER FRONT』のBGMをiPodに入れて聴いていた時期もありました。全部を集めると、20曲くらいはあるでしょうか。『A型初期版』から『B型』までのオープニングとエンデイング、クレジットに加えて、『聖戦』や『パンツァーリート』、それにドイツストーリーモードのBGM等々。『パンツァーリート』は他のゲームで聴いたことがあるような気もしますが、『聖戦』はたぶんないと思います。そして『我らがロンメル』も。

ベルデセルバ戦記』は、曲数を数えることはできませんが、かなりあったでしょう。しかしこちらはBGMデータを持っていないので、ゲームをしないかぎりは聴くことはできません。

ベルデセルバ戦記』の時は、BGMにはどんな曲がいいでしょうかとの相談に、いろいろと候補をあげたような気もしますが、何を言ったのかを覚えていないものです。当時なら、『ライトスタッフ』とか『ブルーマックス』のサントラを勧めたのか、『空軍大戦略』も入れたのか。海外のフライトシムも、なんというタイトルか忘れてしまいましたがBGMが良く、それを録音して勧めた記憶があります。当時は、ゲーム機からよくBGMを録音していましたが、メガドライブの『アドバンスド大戦略』なども、エンドレスな曲を3周くらいでまとめMDに入れ、聴いていたこともありました。『ベルデセルバ戦記』のBGMは、かなりファンタジー方向の曲でしたが、たしか担当したのは、『PANZER FRONT』と同じ会社だったような? あらためて調べてみないとわかりませんが。

さて、『ベルデセルバ戦記』のデモ画面の曲ですが、あの使い方はなかなか斬新でした。最初に見た時、ちょっと驚いたような記憶があります。あえてのデモ戦闘。ここでアニメのムービーなら、「うーん」と思ってしまう自分がいます。ゲームなら、ゲームプレイ画面でしょう。そしてあの曲、とても魅力ある歌で、当時、ゲーム店に行くとデモ機でエンドレスで流れている所もあって、それがなかなか良かったのです。それにしても長い間、曲は幻状態でした。動画サイトにアップされたものでしか聴くことができません。または、ゲームのお皿をPSに入れて聴くか。2019年の年末か、22年の時を経て、はじめて収録されたCDが発売されて、やっと普通に聴けることになりました。権利などが複雑だったのでしょうか、ずいぶんと時間がかかったものですが、しかしそれよりも、『ベルデセルバ戦記』というゲームの知名度の低さからだったのではないのかと。『PANZER FRONT』より、知っている人を少なく感じます。シリーズもなく、1つしか作られなかったこともあり、今では古すぎて忘れられたゲームではありました。もったいないとは思います。

 

新居昭乃『Another Planet』 たしか4曲目に収録されています。

これを見て、曲名は『ベルデセルバ戦記』だったことが判明。他に曲名があるはずもないのですが、もしかしたら別の題名があるのかと思っていました。これでやっとハッキリしました。

ベルデセルバ戦記』は、最後のクレジット画面でのエンディングテーマも好きでした。しかし、ゲームはハッピーエンドの内容なのに、ものすごく悲しげな曲調ではありました。どうしてそうしたのかと聞きたいところではありますが、そんなことも関係なく良い曲です。

『B型』の戦車小隊

『PANZER FRONT / アレコレ』第52回目は、ゲーム内の戦車小隊について。

『A型』では、自小隊以外の車輌には小隊で動くという仕様はなく、1車輌がそれぞれの移動ラインを持って動いていました。これはコンストラクションで遊んだ方なら、わっていただけると思います。かわって『B型』は、ほぼ全てが小隊単位で移動ルートを持っています。もちろん単独で動いていた車輌もありましたが、その場合、その1輌で1小隊という扱いです。また、『B型』の最小単位は小隊ですが、国や時代により輌数が変わります。それに対応させるために、小隊を最大11輌で構成できるようにしてもらっていました。そこまで多くする必要はないのですが、その後どうなるのかわからないので、余裕を持って多くしてもらったのかもしれません。これなら2個小隊以上をコントロールできる数ではありました。もし、続きのシリーズがあった場合、そんな戦場も作ったでしょう。でもその場合、あくまで1個小隊なので、フォーメーションがとんでもないことにはなります。この仕様は歩兵にも適用されていて、歩兵の場合、最小単位が分隊で小隊にまとめ、中隊規模でフォーメーションを組むことが確か可能でした。また歩兵のフォーメーション自体はバリエーションがなく、どんな国にも通用する形状にしていたと記憶しています。そういう仕様は後に改造できるよう、余裕があるようにお願いしていました。

歩兵との前進もまた『B型』の特徴でもありました。戦車に随伴する歩兵の仕様も、作動していたと思います。たしかフォート・ピラストリノでは、バルビエリのM11/39に歩兵がついてくるようになっていたと思いますが、何をきっかけに外れるのか、どう外れるかのスイッチは思い出せません。射撃を開始した場合だったのか? それら仕様はロシア軍を考えて用意したもので、Т34の上に1個分隊を乗せることも可能だったと思います。それを利用して、SdKfz.251など歩兵を乗せていました。もちろん目的地に着けば後部ドアを開けて降車しますが、乗車はできる仕様ではありませんでした。もしТ34にタンクデサントを乗せていたのなら、ゲーム的にも長くは生きていなかったでしょう。

これら戦車小隊の入力は、ゲームに入る前の部隊セレクト画面に反映されていて、そこには部隊の名称が表示されていたと思います。また、砲塔番号や車体のニックネームにも連動していて、その専用スペースが用意された車輌に表示が可能でした。

『B型』では、英軍戦車には車体名も入れましたが、ロシア軍ならスローガンでしょうか。ドイツ軍では第5戦車連隊と第8戦車連隊のマーキングの違いも表現できましたが、”カプッツォの獅子”、キュンメルの第8戦車連隊第II大隊の出撃の面、『ハルファヤ峠』と『フォート・カプッツォ2』を組み込むことはできませんでした。この第8戦車連隊のIII号戦車は特徴ある見栄えではありましたが、ゲーム内で走らせることができなかったのが残念です。

このような戦車ゲームは、その戦場でのすべての車輌の塗装、マーキングも正確であるのが究極の理想なのではありますが、ドイツ・アフリカ軍団のマークだけは製品として作る場合、そうもいきません。ドイツ軍の場合、空軍に比べると陸軍は、逆マンジがほぼ無いのはありがたいことです。空軍機にないと、どうしても間抜けに見えてしまうのは、そこにあることがわかっているからですが、『B型』のスツーカはどうしたのか、黒い四角で乗りきったのか?

『B型』は、ゲームへの車輌投入も小隊単位で行われるために、それ用にいろいろと用意しなければなりませんでした。上の画像は、大隊規模を表した物です。これは1941年5月1日、ラス・エル・メダウェルへの攻撃に参加した、第5戦車連隊第II大隊です。6中隊と7中隊がいれかわって書かれていますが、その理由を思い出せません。何かを考えて入れかえてあると思うのですが、なにが理由だったのか。番号の入った車輌は、たしか制作当時に砲塔番号が写真で確認できた物を書き込んでいるのだと思いました。各中隊ともに第3小隊が欠となっていますが、アフリカに上陸した車輌数が定数に満たなかったためと思われます。この表から、ゲームに投入する隊を決めていくわけです。【第7中隊自体が欠だったような気もします】

そのラス・エル・メダウェルですが、操作する小隊を8中隊のIV号戦車に変更してのプレイをお勧めします。

最後に下の図ですが、これはメルドープの車輌投入表です。まだラフの状態で、画面の登場車輌数が多かった頃の仕様で考えられています。右側のライン、赤の表示が初期操作車輌で、青が乗り換え可能な車体です。中央やや下の段に、後に北アフリカに渡る第3装甲師団の第5戦車連隊が1個小隊だけいますが、第35戦車連隊の北側に存在したようなので、それを南下させて投入するつもりでした。表のさらに下には歩兵部隊の車輌なども登録する予定で用意されていますが、1面での登録車輌数が減ったことにより、第5戦車連隊と共に削除するしかありませんでした。ドイツ軍の最後の2つ、Ju87B-2はスツーカです。要請すると飛来した機体です。

この表の右上に日付と時間が書いてありますが、『PANZER FRONT』は、特に『B型』は、その日、その時、何時から、どのような光景が広がっていたのかを目指していました。デフォルメもかなりありますが、ゲーム的な再現です。