PANZER FRONT / アレコレ

個人的【 ≒ オフィシャルブログ 】

名もなき戦場

『PANZER FRONT / アレコレ』第13回目は、ロシア編のために用意していて、欠番になった戦場の2つ。

 

作るのを取りやめた面は、数えたことはありませんがかなり多く、中止を決めた時期によっては、地形を作ることもなく終えたものもありました。これから書く2つは、地形は作りましたが、戦闘を入れるところまでは行かなかったものです。

場所は、前回の『シンヤヴィノ周辺の地形図』に書いた『 L8 』と『 L13 』の部分です。この2つは、ロシア編のストーリーモードに用意していた面で、『L8』はイスクラ作戦の一部で、『L13』は、その後のいつの戦いだったのか、いろいろと発掘しないと忘れています。L8は、第5号パショーロクの1つ前の面となる予定で、1943年1月13日の戦いを想定していたでしょうか、ロシア軍の第136狙撃師団の前進と、それを支援する第61戦車旅団の戦いを利用しています。中央やや右下にTIGER 1とあり、これは第502重戦車大隊の1輌ということになりますが、あのオットー・カリウスは、この時期はまだいません。L13は、ネヴァ面のすぐ南、病院のある位置から南東側を前進します。これら2つは準備段階のラフスケッチで、L8は、火点の位置の調整をしていたような気もしますが、L13の方は、これ以上の作業はしませんでした。

この2枚のスケッチは、まだ画面に戦車を走らせる事ができなかった頃に、いろいろと想像して準備していたもので、仕様が出揃う前のラフスケッチということになるでしょうか。最初の半年から1年の間は、いろいろと考えながら、このような作業をしていたわけです。

ヴィテブスクで使用した地形も同じような捨て面になりそうなところを、地形の出来が良かったこともあり、戦闘を組み込むことにしました。あのマップは、ヴィテブスクとは関係のない、レニングラードの南にある地形を利用しています。実際の戦場とまったく関係のない地形図を使ったのは、タクティクスでは、ヴィテブスクが唯一の場所となりました。他のすべては、おこなわれた場所の地形図を利用していることになります。

それとは別に、実験的な90VS T80は架空の地形でした。架空といえばもう一つ、ドイツのストーリーモードの最初の面、『霧の森』もそうで、あそこは手描きによる等高線です。



シンヤヴィノ周辺の地形図

『PANZER FRONT / アレコレ』第12回目は、レニングラード周辺の面についてのこと。

企画初期の段階でストーリーをつけることになって困ったのは、ロシア編の戦場をどこにするかでした。とにかくロシアの大地は広大で、地図を広げただけでも途方に暮れます。そこで注目したのはレニングラードをめぐる戦いでした。ここなら長い期間あまり動きがなく、好都合だったのです。

上の図は、イスクラ作戦で使用した地域です。プロホロフカの時(第5回目に書いた)と同じように、戦闘で使う場所を地図上で確定していきます。

赤の四角『#7』は『ネヴァ』、『#11』は『第5号パショーロク』、『#12』は『シンヤヴィノ』のそれぞれの範囲です。『#8』と『#13』は、ロシア編のストーリーモードが無くなった時点で欠番となり、『鉄道分岐点』はこの地図の外で、もう少し南に位置しています。

ある時期のロシア編の制作リストを見ると、戦場番号とそのタイトルの並びでこのようになっています。

L02

L03

L04『ガイトロヴォ』

L05『ムガの北東』

L11『第5号パショーロク』

L14『鉄道分岐点』

L17『クラスノーエ・セロ』

『ネヴァ』や、『L8』と『L13』がありませんので、このリストの時点で、ロシア編のストーリーモードの制作が中止されていることになります。L14とL17の間には、『プルコボ高地』という面もあり、それはコンストラクションに用意された地形に残してあったと思います。『ネヴァ』はイベント面なので、この時の戦場リストには入っていませんが、その後、bis用に組み立てることになりました。

『 L 』はレニングラードの戦場を示す文字ですが、17まであるということは、ロシア編は最大で17面を考えていたということになります。しかしそれがプランの最大で、作り進めたとしても多くが欠番になったでしょう。

地図を眺めると、戦闘に絡むいくつかの労働者団地はなく、戦後、廃止されたのか、それらは改めてこの地図の上に落とし込んでいきます。ネヴァ河畔の病院、火力発電所、鉄道分岐点は、大戦中と同じ位置のままなのか、ここだろうかと決めることができましたが、昔のオフィシャルにも書きましたが、シンヤヴィノ教会だけは決められませんでした。それはいったいどこに位置していたのか。制作の後、何年かして見た、三号突撃砲の写真集に1枚だけあるシンヤヴィノ教会は、ほとんど瓦礫となった建物と荒地でしかなく、場所を特定できるようなものではありませんでした。警察師団の写真集には、シンヤヴィノの写真が何枚かあり、そんなに高くはない丘にPaK38とMG34が配置されているのがわかります。前方はラドガ湖に向かう雪の荒野が続いていて、そこに植物が点々と見える寂しい風景です。今、ストリートビューで見るとすっかり木々が生え、その頃のような風景ではないようです。

下のシンヤヴィノ教会のスケッチは、昔のオフィシャルページでも紹介しました。形もわからないので、こんな感じにとスタッフに渡したものです。ゲーム内で教会を建てた場所は、面の特徴にもなるだろうと、見栄えの良い所に置きました。現在このあたりには、戦いを記念する公園が出来ているのか、そのような場所を確認できます。

この地域のことなので、本物は木造だったのかなと。

バルクマン コーナー / Barkmann's Corner

『PANZER FRONT / アレコレ』第11回目は、バルクマン コーナー。

ヴィレル・ボカージュの戦いと違って、こちらはかなりゲーム向きの面です。たった1輌での孤独な戦いなので、最もコンパクトな戦闘ではないでしょうか。ゲーム的には戦闘爆撃機が厄介なので、とにかく移動しないと終わります。

図にはたくさんの敵戦車出現ルートがありますが、これは全部が出るわけではなく、エリアスイッチで、出現するセットが変わるようになっていたと思います。組み立てた時に注意した部分は、敵戦車の出現数でしょうか。出しすぎると、シューティングゲームのようになってしまいますので、その加減が難しいところ。それでもここは、出し過ぎの面でしょう。PANZER FRONT全体で思うことは、自車による撃破数の多さです。ゲームなので仕方ない部分はあると思いますが、いつもそれが頭の隅にありました。

この戦いは、海外では絵画のような物もあり、見ると大きな木の下で424号車は戦っています。その曲がり角には、大きな樫の木があったとされていましたが、それはなぜ植えなかったのか。もう覚えてはいませんが、たぶん他の戦場の組み立てに忙しく、優先順位が下がっていたのでしょう。ポリゴンもテクスチャーも多少は余裕があったでしょうから、入れようと思えば可能だったと思います。それにここは戦場自体も入れるかどうかの優先順位も低く、最後に決定した面だったと記憶しています。それでリストの1番下に組み込まれているのでしょう。

 

そんなこんなではありますが、このバルクマン コーナーはプロパガンダによるもので、実際には無かったのではとの話が出てきたようで、さて、どうなるのでしょう。調査が進んで、そのうちいろいろとハッキリしてくるのかもしれません。戦争物に限らず、歴史にはそのようなことは多く、何が正しいのか混乱します。

小休止

なんとなく10回は更新しました。昔のオフィシャルページより、すでに回数は越えたことになります。とりあえずは、気がついた人が読んでくれたら良いと思っていますが、内容がわかる人は、極端に少ないのではないでしょうか。ともかく『PANZER FRONT』で遊んだことがあって、さらにそのゲームがどういう物なのかをわかった上のこと。もちろん、すごく読みたい人もどこかにいるとは思いますが、こういうブログという場所にやってくるのかは、まったくわかりません。そんなわけで、とりあえずは置いておきます。

しかし、20年以上の時間の経過に忘れていることも多く、間違いや曖昧な部分、勘違いも多いかと思います。同じ話題も繰り返すとは思いますし、いつまで書くかも分かりませんが、気が向いた人はお付き合いください。

10冊のマニュアル

『 PANZER FRONT / アレコレ 』第10回目は、ゲームの内容から少し離れて、製品としてのこぼれ話。

 

『PANZER FRONT bis』を買っていただいた方の中には、簡単にバラバラになるマニュアルに「え!?」となった人もいたと思います。自分の持っている物も早く外れてしまいました。少し厚みのあるマニュアルでしたので、製本の接着が弱い物があったのでしょう。自分にはまったく知らされていなかったのですが、クレームが多少入ったようで、E社は、郵送していただいた方には、取り替えをして対応していた時期があったようでした。その数はどのくらいだったのか、いつまでしていたのか。何年かして、E社移転のために倉庫の整理をしたようで、その時の予備のマニュアルが出てきたようでした。すべて廃棄しますが、欲しいですか?とのことで、1セットもらう事にしました。

10冊が1つにまとめられてパッケージされています。

残念なのはタイトルで、よく見ると『 bit 』になっています。内部は間違いはないと思いますが、印刷会社の担当者さんが間違えたのでしょう。日付がH13年ということは2001年、その8月6日になっていますので、夏あたりに用意されていたようです。

 

表紙というか、ケース用も1セット(10枚)あります。こちらの交換はなかったとは思いますが、用意したのかもしれません。

 

戦場の大きさメモ

『PANZER FRONT / アレコレ』第9回目は、戦場の大きさについてのこと。

 

下の図は制作期間中、机の前に貼っていた戦場サイズのメモ書きです。

ザックリと5キロ四方と言ってはいましたが、厳密にはこのようなサイズであったという事です。企画段階から、戦場は5キロ四方くらいは欲しいと思っていました。そして作られた戦場は、正確にはどうなのかを出してもらい、それをメモしたものです。とにかく距離、スケールは混乱の元です。たまにこのメモを見て、あれがこうだから、ここはこうなのかと、頭の中で混乱しないように整理しながら作業を進めていたのを思い出します。

それで、他のゲームはどうだったのだろうかと、『 PANZER COMMNDER 』は、ある程度デフォルメされているように感じましたし、『 PANZER ELITE 』は等倍だったのかもしれません。どちらも正確なところは不明です。戦場のデフォルメのサイズは、等倍では戦闘の組み立てが難しく、4倍では地形のデフォルメがきつくなってしまいます。2倍が理想なのではと思っていましたが、その2倍であった『B型』でも、戦闘の整理がかなり難しくなってしまいました。でもやはり、戦車ゲームは、ゲームとして考えるなら、2倍のデフォルメが良いのではと今でも思っています。等倍はかなり厳しいと思いますが、本格的なシミュレーションに取り組むなら問題はないのかもしれません。しかし、それをゲームとした場合、なかなかの覚悟が必要と考えます。

戦場スケールをデフォルメした場合、とにかく作っている時にいろいろな混乱を生じます。その都度、考えを整理しながら進めるために、キリの良い2倍か4倍という数字は理想でした。『B型』の時、3倍という半端な数字にすべきか悩みましたが、混乱するのが怖くて止めました。しかし、それなら処理落ちがなかったかもしれないし、もう少し戦闘が作りやすかったのかもしれません。『B型』の仕様で試せる機会があれば、1度やってみたいスケールではあります。

 

アルデンヌの駒

『PANZER FRONT / アレコレ』第8回目は、企画の極初期に少しだけ考えていたことなど。

 

下の写真は、『戦車ゲーム』の企画を考えていた頃に作った駒です。アルデンヌの戦いは、敵味方が街道を通過したり遮断したりが面白く、これをゲームに落とし込むことは可能だろうかと、ボードゲームのような地図を作り、ターンを決めて駒を動かし実験してみたのでした。

ターンとは言っても、戦車戦2回か3回という進行で、あまり現実的ではありません。シンプルに戦車の戦闘だけでも大変になるだろうと、これ以上は考えることはしませんでした。まだ企画が進むかどうかも不明の1996年の春頃のことで、こういうことも出来たら面白いかもしれないと考えてみただけの話。当時はいったい何を考えていたのか。

 

これら駒は、どのルートに何部隊がいたのかの、時間経過の整理にも利用したように思います。

 

もし制作が開始されれば、戦車戦本体だけの組み立てに全力をかけてしまうのが予想できたので、キャンペーンを考える余裕はないだろうし、ルートの分岐が成立するほどの面数も用意できないことは想像できました。自分では、戦闘を作ってみて、面白く完成したと思う面だけを採用して製品にしようという、どうにでもなる組み立て方を考えていました。